ALASKA PART8 -DURING THE TIME TO FALL ASLEEP-
たいていの旅では運がないことがとても多いのだけれど、今回の旅はどうやらそうではないらしい。あれほど困難だった道のりを越えてきたおかげなのか、僕が滞在している間は毎晩、どの時間帯でもオーロラが出続けていた。最初に死ぬ思いをしながら見たときの爆発的な輝きではないものの、まるでオーロラが見れなかったという人たちの言葉が嘘であるかのように、ゆらゆらとオーロラはと空にずっと漂っていた。
オーロラを見るためには、原則としては太陽が出るまでの間夜空を見続ける必要がある。それはつまり部屋の中にとどまるのではなくて、屋外に待機していなければいけないということだ。摂氏-20℃以下に冷え込むこの場所ではそれがいかに大変なことか想像には難くないと思う。星野道夫さんは摂氏-40℃にもなるアラスカ山脈の山中に一ヶ月の間オーロラを撮影するために一人でキャンプをしていたという。流石にそこまで命知らずなことはできないので、僕は僕のやり方でオーロラを見ることにした。
オーロラを眺めるために、車に乗り、電気を消し、フロントガラスから北の空を眺める。何の音もない。完全な沈黙。たまに外に出て煙草を吸う。頭上を見上げると無数の星が青白く輝いていているのが見える。煙草の煙が星の光と混じり合い、そのまま冷たい風に流されて消えていくのをぼーっとしながら眺める。身体が冷えたら車の中に戻って、ちょっとしたお菓子やコーヒーを飲みながら本をチラチラとみたり、たまに聞こえるか聞こえないかくらいの音量で美しいピアノ曲をかけてみたりした。オーロラが少し色を変えたり、動き出したりしたらカメラを構えて何回かシャッターを切る。オーロラが弱くなったらまた車の中に戻って、本を読む。この時間は僕の人生の中でも、最も美しく、心が安らぐ孤独な時間だったように思える。この完全な沈黙も、淡く輝くオーロラも、身を切り裂くような寒さも、美しすぎる星空も、全てが僕のためだけに存在しているかのようにすら思えてくる。視界を遮るものも、僕の時間を奪おうとしてくるものも何もなかった。ただただ美しい光景と、永遠にすら思えるほどゆっくりとした時の流れだけが存在していた。その止まったように感じられる時の中で、いろいろなことをぐるぐると何回も考えた気がするのだけれど、全く何も覚えていないのが不思議でならない。
時間の流れはだいたいオーロラがどれくらい動いたかで把握できた。オーロラはある種バイオリズムのようなものを持っていて、周期的に強くなったり弱くなったりする。自分が撮り終えたと思った頃合いはだいたい深夜の3時半くらいだったように思う。もう少し待ったらまたあの時みたいな強いオーロラが見えるんじゃないかと思って、眠くなってしまってからも少しだけ頑張って起きようとするのだけれど、だいたい気づくと朝日が眩しくて目を覚ますことのほうが多かった。僕がもしこの日記を読んでいる人に言えることがあるとするなら、たとえオーロラを見れなかったとしても、この場所ではかけがえのない時間が過ごせることを約束できる。そして、できれば一人で、この時間を過ごしてほしいと思う。そして煙草を吸う理由があるとすれば、この時のためなのではないだろうか。