ALASKA PART9 -GOLD DAY & SATURDAY NIGHT LIVE-
旅のプレイリストにニール・ヤングの「After the Goldrush」を入れてきたのには理由がある。大して深い理由でもないのだけれど、それはこのアラスカがラストフロンティアと呼ばれ、金の採掘によって土地が興された歴史があるからだ。アラスカ物語の中で触れられているように、厳しい自然の中を文字通り命がけで分け入り、時には別の探検者と殺し合いもしながら夢を追いかけていた。あるものは大金持ちになり、あるものは道半ばで悲惨な死を遂げたり、そもそも記録にも残らず、誰にも気づかれずに存在自体が消えてしまった人も多くいるだろう。
僕が宿泊してるチャタニカロッジの真向かいには、物凄い大きさの朽ち果てた金の採掘機がある。今では観光客が訪れた時の被写体になったり、いたずら書きをされたり、たくさんの雪に埋もれながら、雪原の真ん中に静かにそびえ立っていた。僕も例に漏れずカメラを片手に採掘機に登った。自分が足で落とした雪が太陽の光に反射してキラキラと舞い落ちていくのを眺めていると、なんだか今にもこの掘削機が壊れてなくなってしまうんじゃないかという儚い気持ちになってくる。ボロボロに錆びた橋脚のような部分に腰掛けながら、チャタニカロッジのほうを見やると、雲一つない青空にアメリカ国旗がはためいているのが見える。ここではどういう人達が働いていて、どんなことが行われていたのだろうと思いを巡らせる。正確に言えば思いを巡らそうとした次の瞬間、爆音とともにスノーモービルが猛然と雪を巻き上げながら雪原に走り込んできて、僕は考えるのを止めざるを得なかった。
ロッジに戻ると、見慣れないアラスカらしいいかつい車が駐車場にたくさん並んでいた。ダイナーの脇を通り過ぎるとなんだか今日はいつもと打って変わって騒々しい。昼間はシェフのおじさんがよくわからないカードゲームをやりながらスラングを大声で2秒おきに吐き散らしているのだけれど、今日は違う。子供の声や若い女の人の声、たくさんの会話がダイナーの方から聞こえてくる。中に入ると、ステージがセッティングされ、バーカウンターにはフランク・ブラックみたいな背格好のおじさんや、ブコウスキーみたいな険しい目つきをしたおじさんが強烈なアクセントで会話をしながらビールを飲んでいる。キッチンの中ではスタッフ総出で慌ただしく料理を作り、バーカウンターでは昔は綺麗な人だったであろうと思わせる、性格のキツいおばちゃんが客からの注文をむしり取っているところだった。
ステージには黒革のテンガロンハットを被った若いシンガーソングライターの女性が、フロッピーディスクで動くリズムマシンをセットし始めている。その様を、カラフルなTシャツをきた男の子や、ニットがパンパンに膨れ上がるまで太りきった身体のティーン・エイジャーの女の子が気だるそうな表情で見つめていた。ステージ上で簡単な挨拶を終えると、安っぽいトラックが年季を感じるスピーカーから中途半端な音量で流れる。それに合わせステージ上でギターを優しくかき鳴らし、ライブが始まった。いかにも1900年代前半と言った感じの3コード進行のカントリーソング。それがオリジナルの曲なのか、誰かの曲なのかはわからなかったけれど、とにかくその瞬間僕は魂が震えた。場末のバーで誰もが興味半分にカントリーソングを聴く。誰もがそんなにありがたがらずに、会話が止んだその瞬間に耳に少しだけ響いてくるような、そんな曲だったように思う。曲が終わるとまばらに拍手が起きたり、起きなかったり。だれもそんなことを気にしていないのだけれど、僕はささやかながら毎回拍手を送った。きっと、この空間にこの人とこの人の作る音楽がなかったとしたら、この絶妙な雰囲気はなかったに違いない。何も必然ではないように見えて、間違いなく、絶対的に必要であること。これが風景というもの正体なのかもしれないとその時強く感じた。
ライブの休憩が入ったところで、いったんロッジの外に煙草を吸いに出る。もう21時を回っているというのに陽は沈みきっていない。深い深い藍色の空と、うっすらと赤く染まった山の稜線が美しい。ロッジの窓から漏れる照明や、ネオンのサインが人々の喧騒を感じさせる。その様子は僕の眼にはとても美しく映った。うっすらと外に漏れるライブの音や、人々の声を聞きながら、明日でこの旅が終わること。そして今日がアラスカ最後の夜であることを改めて感じた。煙草の煙を吐き出しながら視線を下に落とす。このロッジに着いた頃から、喫煙所の大きな灰皿に吸い殻を線香のように突き刺していたのだけれど、数えるともう40本以上にもなっている。ここに来た頃は綺麗だった吸殻入れに、少しだけ僕の残した時間が刻まれているような気がした。バーから徐々に人が減り、ライブも終わり、外まで漏れていた喧騒が徐々に少なくなってくる。入り口の前で豪快なハグをして、各々の車にのってそれぞれの家に帰っていく。きっとこれがアラスカの土曜日の夜なのだろう。おそらく何十年も前からこうして人が好き勝手に集まって、好き勝手に帰っていく。それは僕の勝手な妄想だけれど、きっとそうなのだろうと思った。
すべての客が帰り、バーとダイナーの電気が落ちる。これが最後の夜だと思い、またオーロラを見に外に出る。今日もやはりゆらゆらと北の空にベールがかかったようにオーロラが出ている。写真に撮ると赤いオーロラになった映り、相変わらず美しい。そして、この季節のフェアバンクスでは冬に夏の大三角が見れるらしい。注意深く東の空を見てみると、オーロラの向こう側に瞬く大きな3つの星が見えた。これ以上綺麗な景色を見ることはなんだか欲張りな気がして、写真を一枚だけ撮って部屋に戻った。部屋に戻って眠りに落ちるまで本を開く。深夜特急はこの日のために残した最終章のところで止まっている。沢木耕太郎が目的地のイギリスへ行かず、アイスランドへの旅に出るところを見送り、眼を閉じる。そして僕はこんなことを考えていた。
「僕はもう少しだけここに滞在すれば、何年かに一度あるかないかの更に強いオーロラが見られる。でも、僕の旅はここで終わりにしよう。」
実は僕が帰った後にここ数年で最大規模のオーロラが出る予測が出ていた。日数にして4日後。後ろ髪を引かれる思いはあるけれども、そもそも僕の旅はオーロラを見るために来たのではない。もし自分がこの場所に留まったとしたら、強欲なただの観光客になってしまっただろう。
次の日の朝、といっても全く起きれなかったので昼過ぎなのだけれど、ロッジの人たちに挨拶をしてフェアバンクス市街へ向かう。この5日間で手慣れた運転で、危なげなく道路を進んでいく。目の前には舗装の剥がれ始めたアスファルトの道が森を切り裂くように真っ直ぐに伸びている。天気は今日も雲一つない快晴。青い空と森の緑、雪の白さが際立って美しく見える。日光がフロントガラスからまっすぐ眼に突き刺さるように伸びてくる。視界が陽の光の黄色でぼやけて全てが輝いていた。運転しながら聴いていた「Swing Lo Magellan」がとても心地よくて、その時間がいつまでも続いてほしくて必要以上にゆっくりと進んでいった。この曲はいろいろな場所で、いろいろなタイミングで、何度も聴いてきた大切な曲だけれど、今このときほど大切に感じられた瞬間はなかったと思う。「Swing Lo Magellan」のアルバムのジャケットや、歌詞の節々がアラスカを歌っているんじゃないか?(そんな訳はないのだけれど)と思えるほどに。
この文章を書きながら部屋の外を見上げると満月が曇り空の合間で輝いている。もう旅行から戻ってきて2週間も経ってしまったのか実感する。全部で9つの文章になったけれど、自分でもあれほど何もしなかった旅でこれだけ文章が書けるとは思わなかった。何年か、十何年かした後に、また見返したらどんな気持ちになるだろう?今回のアラスカの旅で得られたものは形としては何一つ残っていないし、自分自身何か成長できたかどうかなどというおこがましい気持ちを持つつもりもない。言えることは、これが自分にとってこれまでの人生で最良の旅であったことと、アラスカにはまた必ずやってくるだろうということだけだろう。