ESSAYS IN IDLENESS

 

 

LOVING @LIVING ROOM THEATER

映画館近くのピザ屋。いい感じの小汚さが気に入っている

映画館近くのピザ屋。いい感じの小汚さが気に入っている

MUDの監督、ジェフ・ニコルズ監督作品であるという友人の紹介を受け、さっそく映画館へ足を運ぶ。
月曜と火曜は、Living Room Theaterの作品がすべて$5で見られるということで、なおさら見ない理由がない。

MUD自体も最高の映画だったことは言うまでもなく、思い返してみるとあの映画も「家」が裏のテーマとして存在していたような気がする。
というよりも、アメリカにおいて愛と言うものを追求すると、つまるところ人であり、心を許せる空間が伴っているのかもしれない。

僕がこの日みた「LOVING」も同様に自分の居場所を探して戦う、ある一組の夫婦の愛の物語だった。
タイトルの「LOVING」はLoveという単語の現在進行系でありながら、主人公の名前でもある。
まだ異人種間での結婚が法的に認められていない1950年代のバージニア州を舞台にした実話をベースに作られている。
結婚が認められている州で結婚をした後に、バージニアで家を立てて暮らすが、警官に押し入られて二人共逮捕されてしまう。
今の価値観で言えば、ワシントン州でそのまま暮らすことのほうが合理的に思えるけれども、この2人はそうではなく、法律を変える道を選んだ。

「僕はこの土地を買ったんだ、ここに大きな家を立てて2人で暮らそう。僕と結婚してくれないか?」と何もない草原で主人公演じるコリン・ファースが話しかける。2人が出会い、育ったこの地に居を構えるということがこの2人にとってはかけがえのないくらい大切なことだったのだろう。

僕はこの時、福島の原発で住む場所を失った人たちのことを考えていた。
健康上の被害は火を見るより明らかだけれども、それでもその場所にとどまって暮らすことを選んだ人たち。
外野の人間は「合理的でない」「感情論や精神論でしかない」という批判的な目線で彼らを捉える。
僕はこの福島の人達に実際に会って話をしたことがあるけれども、それでもなお、別の土地でなんの不安もなく暮らすほうが良いのではないかと思っていた。
それが間違いだとか、正しいとかそういうことではなく、どこで生きるかという話なのだろうと思う。
物理的な問題ではなく、心理的な事象によって人はなにかと戦うのだろうとこの時に気付いた。

MUDでは森の中の隠れ家、LOVINGではバージニア州の大きな家。どちらも警察に追われながらの暮らし。
不条理な世の中で、家を持つという非合理的な選択。そしてそれを為し得るのが愛であることがこの映画を通して証明されたような気がする。
今の自分にとって見るべき価値が非常に大きかった、素晴らしい映画だと感じた。

hiroshi ujiieday, movie