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祖父の3回忌があったので、正月に続き実家へと向かう。途中喪服を新幹線に置き忘れてきてしまい、散々な目にあったがなんとか恙無く会を終えることができた。飼い犬のハルはだいぶ弱ってきている。何を食べてもすぐにお腹を壊してしまうようで、夜泣きがひどい。それを介護する両親も大変そうだが、もう歳だし覚悟を決める必要があるのだろう。
年末に昔付き合っていた人から急に連絡が来た。ほぼ10年ぶり以上な気がするが、他愛もない話をするのが楽しかった。理由を聞いたら「病気で入院したときに、死ぬ前に会いたい人を考えていた」と言っていた。それは単純に嬉しかった。
先週、4年ぶりくらいに昔の同僚と外苑前でお茶をしたとき「氏家さんは本当に長生きしないと思いますね」と言われた。
1/27日の明朝、大ファンだったコービー・ブライアントがヘリコプターの事故で亡くなった。普段寝起きはめちゃくちゃ悪いほうだけれど、そのニュースをスマートフォンで目にした瞬間に目が覚めた。と同時に言いようのない悲しみを感じた。僕がまだ幼い頃からずっとそのキャリアを追いつづけ、少なからず影響を受けてきた人物だった。彼が三連覇したとき、シャックと離れても再度優勝をしたとき、81点を記録したとき、何試合も連続で50点以上を記録したとき、それは見ていて感動的な活躍だった。引退試合涙を流しながら見たし、その引退スピーチは何度も何度も見返した。NBAでの嫌われ者とされる彼だけれど、その常軌を逸した精神の強さは誰しもが敬意を持っていただろう。彼の死を偲び、その日行われたNBAの試合では全チームが24秒、8秒の黙祷を試合中に捧げた。24と8は彼の背番号であり、バスケットボールの反則行為(オフェンスの持ち時間)にあたる。反則のブザーと観客のチャントが会場を埋め尽くし、コートに立つ選手は呆然としながら悲しみを顕にしていた。図らずも、彼の背負ってきた番号がこのような形で使われるのは神様に魅入られていた証なのかもしれない。悲しいけれど。
ジョナス・メカスの訃報も悲しかったけれど、僕の人格の根底を作っているのはやはりスポーツだと実感した。レッチリのフリーやジョンが死んでも、リバティーンズのピートが死んでも、トーキング・ヘッズのデビッド・バーンが死んでも、ソランジュやビヨンセやフランク・オーシャンが死んだとしても、こんなに悲しくなることはないだろうなと思う。(恥ずかしながら)それは僕が今どんなに文化系を繕っていたとしても変えることのできない事実だ。彼が起こしたDVやら女性問題やらのスキャンダルは許されるものではなかったとしても、綺麗な上澄みの部分だけを見ながら偲んでいきたい。
悲しいのは彼がが死んだ理由が事故だということだ。彼が長らく苦しみぬいて、ようやくこれから家族や自分のための時間を使っていこうというタイミングだっただけに、どうしてそんなことが起きてしまうのだろうかとやりきれない気持ちになる。おそらく、もし彼が今後生き続けていたとしたら、バスケットボールの世界に戻ってきてまた監督やコーチとして偉業を成し遂げるであろうことは容易に想像できができた。それだけでなく、様々な領域に投資をしたりしながら世の中に大きなインパクトを残したことは間違いなかった。だからこそ、この理不尽な死因に対しては悲しみをぶつけるあてもなく、誰しもが深い悲しみに暮れているのだろう。かつてこれほど理不尽で予期せぬ形で亡くなった正真正銘の「スーパースター」はいただろうか?
人は本当にいつ死ぬかわからない。昨日連絡を取っていた人が明日死ぬということもあり得るし、僕も含め誰にでも起こりうる。だから、普段連絡を取らない人や会わない人にも、急にできるだけ会っておきたいなと思うようになった。できる限り人とのつながりは大切にしていきたいと思ったし、それは今後自分の人生での重要なキーワードになっていくだろう。言葉にすると当たり前のように思えるけれど、失ってからではきっと遅い。今回の訃報で、人の大切さはその人を失ったときに一番正確に測れるというのが身を持ってわかった。
最近、哲学系のポッドキャストを眠りながら聞いている。東洋哲学の中で最も有名な人物は仏陀で、彼だけが唯一悟りを開いた人物と言われている。これは誰でも知っている話だと思うけれど、彼の悟った内容としては「世の中は無で、縁起だけが存在している」ということらしい。「もう自分がなんだとかとかそういうの考えていると全部虚構っぽいしだいたい意味ない。なので、自分が存在しているのは自分以外の他の要素との関連性(縁起)の中だけの話」ということのようだ(超意訳)。弟子いわく、彼だけが悟ることができたもの前世で良い業(徳)を腐るほど得てきているからというが、急に人が死ぬのも、前世での縁起や業のようなことだけで片付けられてしまうのだろうか。それはあまりにも無慈悲過ぎやしないだろうか?
とにかく、今は天国で安らかに休んでほしいと思う。悲しいけれど、一緒に亡くなった彼の愛娘と共に。