SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY36
目覚めると昨夜から降り続いていた雨は弱まり、どんよりとした重たい灰色の分厚い雲が空を覆っていた。日の出までまだ時間が少しあったのでライトつけて道を進んでいく。時間は朝の六時半。ネオンが煌々と輝く「絶対に間違いのないダイナー」を見つけてしまったので、今日の朝ごはんはここで食べることにした。店に入ると早朝にもかかわらずなかなかたくさんのお客さんが入っていた。地元の人が訪れる店に外れはない。奥の席にはハットを被ったおしゃれな地元のおじいさんと、その奥さんと思われるおばあさん。僕の脇にはタクシードライバーやトラックドライバーと思われる人たち、郵便屋さんやパンクスのような格好をしたいい年のおじさんが座っていた。彼らの体型から察するにこの店の食事は相当にカロリーが高そうであることはすぐに察しがついた。店内の床は白黒の市松模様に赤と青のネオンが輝いている。スチールの椅子やボックス席は昔からあるアメリカンダイナーそのまま。金髪の疲れたケイト・モスのような風貌のお姉さんがカウンターを切り盛りしている。ここまで完璧な佇まいのダイナーもそうあるまい、と思えるくらいに素晴らしい雰囲気だった。観光客向けにカスタマイズされているでもなく、地元の人が次々に訪れては「いつもの」みたいな感じで注文していく様子を見ているとこの場所が日常の中に溶け込んでいるということがなんとなく伝わってくる。フレンチトーストを頼むと大きなバターがドンと乗せられた巨大なパンが2枚ほど出てきた。シロップは大きめのカップに並々に注がれて出てきた。コーヒーを3回程もおかわりしながら、なんとかフレンチトーストを食べきる。朝にこんなにカロリーを摂取してよいのだろうか、そもそもこの店に健康という概念はないのかと疑いたくなる。食べきった頃には口の周りはバターとシロップが混じった甘ったるい匂いがいつまでもしたし、カフェインとカロリーのとりすぎで頭はキレッキレに冴え渡っていた。身体は寒さを忘れたように熱を発しはじめて今日はもう何も食べなくても生きていけそうな気がしていた。食べおわったあとに暫く動けなかったので周りの人が何を食べているかを見ていたけれど、僕が選ばなかったよりカロリーが高そうなセットメニューを無心でがっついていた。人たちがいつも思うけれど、こういう食生活をしている人間にパワーで日本人が勝てるはずがない。音楽においても人生でそれまで摂取したカロリーの総量がゲイン値をコントロールしているに違いない。それがこの空間で流れる時間であり、アメリカらしさなんだろうなぁと改めて思った。
タルサの郊外にあるスケートパークに行ったら、きっと何かが起きるのではないかと思い行ってみたもののそこでは誰一人として滑ってはいなかった。単純に朝が早すぎたのだった。とは言え、普段目にしないこうした光景を見るとテンションは上がってしまうもので、走ってバンクに駆け寄ったら雨で滑りやすくなった地面のせいで盛大に転んでしまった。結果、レンズを一本壊してしまい、足からは流血。しかし普段見れない光景を見ていると脳内物質が出ているせいかほとんど痛みを感じることもないし、レンズがイカれたことでテンションが下がることもなかった。曇った天気の中でスケートパークを見ているとリチャード・ギリガンの写真のようにも見えてくるし、アールのヘリやスロープの傷、抉れたコンクリートの地面を眺めていると、ここでかつて滑っていたであろうスケーターたちの姿が見えるような気がした。もし、ここに誰か一人でもスケーターがいたのならばその街のことやラリー・クラークのことについて話をしてみたかった。時間が進むに連れて辺りが明るくなってきて、雲の隙間から光が差し込んでくる。このタルサという街のことは正直まったく把握しきれなかったけれど、残された時間のことを考えるともう次の街へと進むしかなかった。
ルート66沿いの小さな町を巡る。南部国旗を掲げた家屋をいくつも見かける。その付近にはなにかしら不穏な雰囲気が漂っているもので、ゆっくりと家並みを眺めながら住宅地を運転していたら物凄い勢いで何かを叫びかけてきた人が出てきたので、急いでそのエリアから飛び出した。「Make America Great Again」と書かれた看板を大きく街の中心に掲げている場所も通ったりしたのだけれど、そうした街の雰囲気は僕の見た限り一様に不気味に廃れている。唯一人が賑わっているのがカジノだったりしていて、この人達はいったいどうやって暮らしているのか不思議だった。カンザス州を目指して北上する。久々にみた地平線しかない光景。それはアメリカ中央に大きく広がるグレートプレーンズに再び足を踏み入れた証拠だった。ここまで来ると曇り空はなくなって、青い空と美しい平原だけが見えた。この日にすることはあとはひたすら運転するだけ、自分の好きな曲を聴きながら眺めの良い道路をひたすらにまっすぐ進んでいった。カンザスについたあとも休憩を少し入れたら、西にひたすら走りつづけコロラドを目指して六時間のドライブ。いくら眺めが良いと行っても一日15時間近くも運転していると流石に疲れてくるし何より飽きてしまって仕方がない。周囲が暗くなり始めると景色を楽しむこともできなくなり、ひたすら孤独なドライブが続いていく。ハンドルを握る必要もないくらいまっすぐな道が続く。ひたすらに続く。寝ていても目的地に辿り着けそうな気がする。進み続けるうちに時計の時間が変わる。西へと進んできたため1時間が戻ったのだった。そうすると「もう1時間頑張れるよ」と言われているような、なんとなく得をしたような気分になって、あと少し、あと少しと車をすすめる力になるのが不思議だった。ガス切れの恐怖に怯えながらも、最終的にリモンというコロラド州の外れの街のフライングJに車を停めた。いつだって自分を迎え入れてくれるトラックストップやトラベルストップの灯りが道標だった。シャワーもランドリーもガススタンドも、レストランやダイナーだってある。そうした物理的なライフラインが確保されていることに心から有り難みを感じるのはこうした瞬間だ。ガスを満タンまでいれて、ちょっとした食べ物と飲み物を買う。シャワーを浴びつつたまりきった洗濯物を洗う。こうしているうちに時刻は深夜2時をまわる。写真をパソコンに取り込みながら、旅から戻った後に日記を書き直すためにこの日あったことを箇条書きにして記す。いくら疲れていたとしても、この日あったことを書き記さなければならない。自分の記憶の中のどこか奥底にしまわれてしまって、二度と思い起こすことができなくなるかもしれないから、気力を振り絞って少しでも書き残そうと思える。寝る前に走行距離を見たらこの日は800マイルくらい進んでいることがわかった。キロ数にして1300キロくらい。日本列島の北端から南端までの直線距離が2500キロであることを考えると、本当にとんでもない距離を移動していると我ながら思う。この日していたことの98%くらいはひたすらに運転していたことで、いくら思い出そうとしてもだだっ広い草原と、朝ごはんに食べたマッシブなフレンチトーストのことしか考えつかなかった。