ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SUN KIL MOON @ALADIN THEATER

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ポートランドで見た最後のライブは、その時まで行ったことがなかったアラジンシアターというポートランドの比較的外れの方にある劇場だった。開場のだいぶ前に着いたので近くでコーヒーを飲みながら時間を潰す。iPodに入ったサンキルムーンの曲を聞きながら、目の前で開かれている油絵のワークショップの風景を眺めていた。アメリカを車で旅していたときによく聴いたサンキルムーンの数々の曲。初めての出会いは大学入学当初、高円寺にあったスモールミュージックというマイナーなCDばかりを取り扱う(今となってはメジャーになってしまったアーティストばかりだったが)、レンタルCD屋でAprilというアルバムを借りたのが最初だったと思う。オルタナ・カントリーという聞きなれないジャンル名と、美しい青色のアルバムジャケット、そしてサンキルムーンという名前からして悪いわけが無いだろうという直感により迷わず手を取ったわけだけれども、いまでもこうして聞き続けていられるアーティストになるとは思わなかった。特に旅の最中に聴いたのはLost Verseという曲なのだけれども、夕暮れ時にこの曲が流れるとどうしても感傷的になることを止められない。同時期によく聴いていたラムチョップしかり、アメリカのこうした音楽は心に深く染み込んでいるようだ。

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スモールミュージックはどうやら2011年に閉店してしまったらしい。各方面のアーティストからボロクソにディスられる店ではあったのだけれど(おそらくただでさえ売れないマイナーなアーティストやレーベルのCDを買わなくなるから)、当時Youtube、Last.fm,mixi musicなどが全盛の時代にあって(SpotifyもApple Musicも、BandcampもSoundcloudもなかった!)、渋谷や代官山のTSUTAYAであらかたCDを借りてしまった自分がそうした曲を手に入れるにはこの店か、神保町のジャニスに行くしか方法はなかった。借りる度に次回のレンタルで利用できるクーポンがもらえたりする期間があって、その度にCDを限度枚数まで借りては返し、借りては返しを繰り返していた。ひどいときなんて1ひと月で2-3万円分もレンタルしていたような気さえする。僕の大好きなバンドの(当時まだ日本ではマイナーだった)Why?や、mergoレーベルのツジコノリコ、スリルジョッキーやクランキーといった海外の素晴らしいレーベルの音楽。廃盤のレインコーツ。この店に来る度に新しい音楽に出会えて、そのどれもが良かったし、たまに攻めすぎてわけの分からない現代音楽を借りてしまうのだけれど(メシアンとかそういうの)、それを背伸びしてわかった風にしていたことも今思えばいい思い出だ。
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開演時間が近づいたので会場へ向かうと、入り口は人で溢れていた。こうした小さなライブハウスでは珍しく珍しく荷物検査があって、受付のお兄さんがしきりに何かを言ってきている。要約すると

「マークはとても気難しくて写真を撮られるのが大嫌いなんだ、だからライブを最後まで見たかったらどうか、スマートフォンとカメラは絶対にライブ中に取り出さないでくれ。過去のライブでは期限を損ねて途中で帰ったこともある」

彼の気難しさはファンの知るところではあるのだが、写真に撮られてライブをやめるというのは彼らしいけれどやり過ぎのような気もしていて、そのアナウンスを聴いた客もどこかシビアな雰囲気を漂わせている。それを聞くと客が咳をしたので演奏を中断するキース・ジャレットを思い出す。アラジンシアターはこじんまりとした劇場で、昔仙台にいた頃によく通っていた仙台フォーラムの劇場を思い出す。古い椅子と、えんじ色の舞台幕。会場は広くはないが満席でもなく、このレベルのアーティストにしては少しさびしい気もした。開演時間が近づくと先程のかかりの人が舞台に上がり、同じアナウンスをもう一度繰り返していた。ステージの上にはキーボードやドラムやアンプ、そして譜面台が何台も置かれていて、今回は弾き語りではなくバンドセットでのプレイらしい。

メンバーが続々と入場して来て、それぞれ楽器の音を鳴らし、それが徐々に重なりあってそのまま曲のインタールードになる。「Somehow the Wonder of Life Prevails」という彼の個人名義の曲だったのだけれど、2分ほど立つと黒いダサい装いの彼が舞台に現れ、マイクを片手に歌を歌い始める。ピンボーカルのスタイルだとは思っていなかったので驚いたけれど、マイクを手にして地味な踊りをしながら踊る彼はなんとも言えないオーラが漂っていた。音源とは違い、かなり声が大き強い。その歌い方に圧倒される。彼の書く歌詞は基本的に彼の身近な人や彼自身に起きたことを時系列に淡々と歌っていくというだけだけだ、例えば何月何日何時に誰が何をしただとか、その時思ったことや行った場所、見たものを、そのまま歌詞に書いている。テレビや新聞で誰かが殺されたのを知り悲しみを覚えたり、政治家の様々な問題に苛立ちを覚えたら、それがそのまま歌詞に現れる。音源で彼の歌を聞くと優しさと慎み深さを持って聞こえてくるが、実際に聴いてみるとどうだろう、それはもはや訴えかけることや叫びに近いような形で僕達の心に届く。それが不思議だけれど本来の歌い方なのだろうと思う。とにかくそのパフォーマンスは魅力的で、バックバンドのストリングスとピアノの音で神聖さすら感じられる彼をを見ていると陶酔感を覚えてくる。長い一曲目が終わると、聞き覚えのあるイントロが聞こえてくる。それは僕の大好きな曲の「God Bless Ohio」だった。歌というよりもはや語り、ラップにすら聞こえるほどに彼の口から吐き出される言葉の数々は呪詛のような連なりにすら聞こえる。

度々入るMCでは彼の性格の悪さや歪んだユーモアが如実に現れ、聴いてるこっちとしては笑ってしまうのだけれど会場で笑っている人はほとんどいない。ライブ会場に来ていた5歳くらいの男の子を見つけ話しかける

「おい坊主、お前がいま興味あるものはなんだ。というかお前が聴いて良いような曲を歌ってないぞ俺は。」
「うーん、ロボット!」
「ロボット!最高だな!それはまさに俺が死ぬほど嫌いなものじゃないか。」

別の場面では、バンドメンバーに話しかける。
「俺は基本的には才能のない奴らだとか、頭の悪い奴らと話すのが大嫌いなんだ。でもどうだろう、この若いストリングスの彼らを見てくれ。若すぎだろう?俺も俺の演奏のサポートが務まるのか今日まで不安だったよ。でも今日会って話してみて、一緒に演奏してみたら彼らの才能と知能の高さに驚いたよ。ほら、頭の悪いやつは俺が何を言ってるのかわからないだろう?」

聴いてるこっちが不安になるようなことを平気で語りだすものだから、内心ヒヤヒヤする。そしてライブの最中に席を立つ人の多さといったら。そうして曲と曲の合間に出ていく客の背中に向かって悪態をつくものだから驚く。挙句の果てには曲の歌詞が「Fuck Trump!」しかなくなったときには周りの客も苦笑いである。

ライブはそのまま進行していき、「 I Can't Live Without My Mother's Love」で終わる。彼の数年前のアルバム「Benji」も本当によく聴いたし、この曲も何度も何度も聴いた。彼の怒りと悲しみは彼の作る曲と歌詞によって詳細に、その時の感情や思考までも含めて記録される。なんだかそれはジョナス・メカスの映画に通じるところもある、まるで日記のようなものだと思う。何か大きなことを伝えられずとも、その感情と思考を辿ることで僕たちは感動することができる。それが最も美しく純粋な表現な形であると思ったのはここ数年のことで、彼の作る曲はまさにそれそのものだとこのライブで確信することが出来た。

hiroshi ujiiemusic