SEE EVERYTHING ONCE -DAY20-
ロングアイランドのサービスエリアから車を飛ばして一時間半、ジャクソン・ポロックのアトリエへと到着する。ロングアイランドは東西に長く、車を飛ばしても飛ばしても走り終わらないんじゃないかと思うくらい広く感じた。ニューヨーク州は本当に東西に長いことを思い知らされた。ロングアイランドにはグレート・ギャツビーで知られるあの荘厳な家もあれば、ジャクソン・ポロックの家もあるし、そしてLGBTの聖地として知られていたファイアアイランドもあった。僕のホストマザーの生家はロングアイランドにあるらしかったのだけれど、彼女いわくロングアイランドは何もない田舎だという話だった。確かにそれはそうかもしれない。早朝にドライブをしていても一切都会らしい場所はなかったし、見えたものは霧がちな海岸線と先の見通すことの出来ないハイウェイの灰色だけのように思われた。ジャクソン・ポロックの家は、以前近代美術館で開かれたポロックの個展でレプリカを見たことがあった。実際に到着してみると施設は空いていなくて(またかよ!!)、遠巻きに彼が暮らしていた家を見ることになった。周りには数件家が立っている程度で、本当に普通の住宅街に建っている普通の家だった。前に見たのがマーク・トウェインの家だったから、なおさら彼の家の素朴さと質素さが際立って感じられた。その個展で見た白黒の映像の中で、彼の小さなアトリエが映っていたことを思い出す。映像の中で彼は、庭に置いてある大きなキャンバスに向かって、タバコを咥えながら大きなブラシにたっぷりと付けた絵の具を垂らしている。その彼の脇には彼の奥さんがいて、天気は綺麗な晴れの日で、その片隅に小さなアトリエが映っていた。ニューヨークのこんな隅で作っていたのかと思うほど、辺境の地。外観からでは他の家との差别はできないほどありふれた彼の過ごした家は、彼の朴訥とした生き方とシンクロしているように見えた。
せっかくなので東の端まで行ってみようと思いたち、モントークというロングアイランドの果てまでいってみる。途中で見つけた小さな街では地元のマーチングバンドコンテストのようなものがやっていて、賑やかな様子だった。道路脇に停まった真っ赤なキャデラックのコンバーチブルには、金髪でサングラスを掛けた若くて綺麗な白人の女の子が二人で乗っていた。これがまさにアメリカだろうと言わんばかりの光景に思わず笑ってしまった。モントークの灯台は濃い霧に包まれていて、海岸線から見える波は荒く高かった。サーフィン禁止という看板はいたるところにたてられていたけれど、そんなのお構いなしにたくさんのサーファーが強い波に向かって泳いでいた。曇り空が水面に映り込み、海面全体が灰色だった。空も空気も全てが灰色で、その境界線が溶けているように見える。一度この人達が波に飲まれてしまったら、そのままどこかへと連れ去られてしまうような気がした。そんな彼らを見ている僕の脇には手を繋いだ美しい女性カップルがいて、彼女たちがそんなサーファーを優しい目で見ているのはとても美しかった。モントークの一番の思い出といえばこの美しい彼女たちの佇まいだったかもしれない。お腹が減ったので、ニューヨークへ帰りしな道路脇にあった店でクラブチャウダーなるローカルメニューをいただく。来るときにはガラガラだったお店なのだけれど、お昼を過ぎると車がたくさん停まっていた。カウンターで注文し、スープが出てくるまでのほんの数分の間に僕の足は大量の蚊に刺されていた。ロングアイランドはどうやら蚊がめちゃくちゃ多いらしい。クラブチャウダーはトマトベースの魚介の効いたスープで、そんなものがまず美味しくないわけがない。久々にまともな店で食事を取ったので、この日は元気に旅を続けられるような気がした。
ニューヨーク近郊の道路が渋滞になる前に急いで宿へと向かう。クイーンズ付近のAirbnbを運良く取ることが出来たので、今日を含めた3日間はこの宿が拠点になる。車を停めて、荷物を部屋に置き、部屋に鍵がかからないのはいささか不安だったけれど、急いで地下鉄に乗って中心街へと向かう。まずこの日は死ぬほどミーハーに過ごそうと、タイムズスクエアへと行く。それこそ色々な雑誌や映画や、あやゆるメディアに出てくる場所ではあるのだけれど実際に行ってみると思ってた以上に感動する。たとえ観光客でごった返していても、セルフィー棒をかいくぐりながらあるかなきゃならないとしても、騒音が喧しすぎるとしても、そこは絵に描いたようなニューヨークだった。LEDの看板や、次々と映像が切り替わる大きなディスプレイを見ていると、池田亮司のパフォーマンスを思い出した。とりあえずジョーズピザに入り安いピザを食べながら壁にかかる数々の有名人のサインを見つける遊びをして(ドリュー・バリモア最高)、ここに立ち寄るニューヨークのティーンの立ち振舞いや会話をこそこそと観察した。セントラルパークを適当に歩き回っていると、昔お世話になったデザイナーさんが無一文でセントラルパークで一ヶ月過ごしたという武勇伝を思い出したりした。グランドセントラルステーションは雑誌で見たとおり荘厳な造りで感動したし、なぜかその駅の向かいの道路で車が大破炎上していて大変なことになっていたのもニューヨークらしいような気がした。マンハッタンのあたりを歩いていると、夜遅くてもパティオで食事をしたり、カフェでコーヒーを飲んでる人たちがいて、その脇をたくさんのBMXがウィリーで駆け抜けていって、トランプタワーには醜悪な看板が立てかけてあって、まだまだいけていないところが多くて何も言えないが、見るもの全ての規模が大きくて、荘厳で、熱量があり、汚くて、臭くて、ジメッとしている。それが今のところ僕にとってのニューヨークだった。