SEE EVERYTHING ONCE -DAY18-
コネチカット州のミスティックという街を通り過ぎる。この街の名前を聞いて思い出すのは、ミスティック・リバーという映画だ。イーストウッドの映画の中では珍しいミステリー映画なのだけれど、見たのがだいぶ昔だからか、内容はおぼろげにも覚えていなかった。日本に帰ってこの日記を読み直す頃、映画を見直してみようと思う。この映画に出てきたピザ屋も実際にそのダウンタウンにあるらしいけれど、そのピザ屋がどこにあったのかは車窓からでは見つけられなかった。海沿い、そして川が流れるこの街は朝から霧がちで、というかめちゃくちゃ曇っていた。川や、海に停泊している10メートル先の船も見えない。その見えない船が幻想的な雰囲気を醸していたのだけれど、あまりの霧の濃さに運転していると不安になってくる。ちょっと霧が濃すぎるわね、なんていう散歩のおばちゃんと会話しながら、海沿いの街をゆったりと走って午前中を過ごした。
そのあとマーク・トゥエインの家を見るためにハートフォードへ。ハートフォードは全米でも屈指の悪い治安の街で、それに気付いたのは街に入った瞬間だった。その治安の悪い状態のど真ん中にマークトゥエインの家はあった。赤色の四階建ての家は城のように大きかった。入り口で入場料を払うと、ドレッドヘアーの黒人の女性が近づいてきた。「今回の時間帯はあんたしかいないから、ゆっくり見て回りましょうか。人も少ないし、なにかあればなんでも聞いてね」と、フランクな感じで話しかけてくる。
家の中にある大きなガラス張りのサンルームには植物がおかれていて、外からみてもその美しさが際立っている。実際に中から見るとまるで映画のセットのような完璧な配置と色合いで植物が置かれていて、陽の光がそこから差し込んでくると部屋の中に光を篭もらせるようにほのかに光って見えた。家具や壁の縁など、細かな部分の装飾も素晴らしく意匠が凝らされていると思ったら、当時駆け出しのデザイナーだったティファニーによって作られたものらしい。長い窓から入ってくる光が豪華な家具を照らし、西洋画のような世界を作り出していた。メイドのために作られたキッチン脇のスペースはセザンヌの絵画のようで、静物画に描かれるような静かで柔らかな光が窓から入ってきていた。かつては目の前に流れていた川がテラスから見えたらしい。絨毯、ピアノ、螺旋階段、壁掛け時計、燭台、あらゆるもののディティールに嗜好が凝らされていて、目がくらむような美しさだった。いつもこういう洋館をみていて思うのだけれど、あれほどに意匠が凝らされていて、様々な模様も入り組んだように使われているし、色合いも鮮やかなのに、なぜこうも嫌らしさがないのか。どう見たって居心地の良いだろうとしか思えない。彼の部屋にはビリヤード台が置かれていて、他の部屋同様にあらゆるものに嗜好が凝らされていた。彼の愛したパイプの絵が壁にかけてあり、この部屋で執筆をする彼の姿が容易に想像できる。更に機能的なことで言えば、当時の家の中では最先端の設備と言われていたセントラルヒーティングも整えられているし、もちろんながらお湯も蛇口から出るという完璧な家だった。
僕の記憶が正しければマーク・トゥエインは決して裕福とは言えない家庭で育ったはずだった。どうしてこんな家を建てられたのかを案内のお姉さんに聞いてみた。この家は奥さんのお金で建てられたらしい。彼の奥さんは大変な資産家の娘だった。彼自身の稼ぎももちろんあるのだけれど、結婚した当初はもちろん今ほど有名な作家ではなかった。彼はお金を持つようになってからは浪費癖が激しくなったらしく、その富を失う羽目になった。毎日平均で15人は家に呼び、遠方からの客人は一ヶ月に渡ってもてなす。一般人が1年で使うお金を一週間で使うという彼の暮らしぶりも、その家からは見て取れた。子供部屋の壁紙も嗜好が凝らされていた。食卓では毎回客人にに対して同じジョークを言っていたらしく、「それ聞いたことあるよ!」とそのジョークを遮れぎられるのを死ぬほど嫌ったらしい。なんと理不尽なことか。マーク・トウェインは自分の中ではアメリカにおけるユーモアの象徴のようなイメージを持っていたけれど、やはり天才はどこか狂っているというか、ずれているというか、人間性を求めることが間違いのような気もしてきてしまう。一方で、そんな彼に憧れずにはいられない自分もいる。
ハックルベリー・フィンや、トムソーヤは、彼の書いた物語の中で筏を使ってミシシッピ川を下った。ミシシッピ川はアメリカ最長の川であると同時に、アメリカという国の文化も歴史も伝統も、良いところも悪いところもすべてが根付いている場所でもある。マーク・トウェインはフォークナーやヘミングウェイをして、アメリカ文学の祖と言われる人間で、彼がミシシッピ川という舞台を選んで小説を書いたこともそう考えると必然のように思えている。自分のこの旅と、ミシシッピ川とがつながっているところがあるとふと感じられるのもまた必然であるように思われる。不思議と自分の見てきたものやしてきてことがバラバラだと思ったけれど、一つの川の流れのように繋がって自分の中に流れていくのを感じた。それがきっとアメリカの文化を追いかけるということなのかもしれない。