A ROAD TRIP THAT REMINDS ME LANDSCAPES OF AMERICA -DAY3-
DAY3
海沿いのブルッキングという街のモーテルで目が覚める。きちんとしたベッドで寝ることができたしシャワーも浴びることができた。体調は万全に整えられたので、一服してから車に乗り込もうとする。しかし風は冷たく空は雨が降り出しそうなほどに暗い。旅の最後がこのような悪天候で台無しにされては敵わないと思い悲しくなる。この日のルートはオレゴンコーストハイウェイというオレゴンコーストを南から北上するルートを取っていたため、もしこれで天候が悪ければ美しい海沿いの景色をみることができるかどうかは天候に左右されるからだ。どうやら海沿いの街は潮風によって発生する霧の影響で朝は天候が悪いらしい。モーテルの受付のおばちゃんによれば昼過ぎには霧が晴れるらしいが、どうにかその予言通りになってくれという思いでエンジンを入れてこの日のドライブはスタートした。オレゴンコーストは全長600キロにも及ぶが、今日はそのうちの400キロ程度を南端から北上する形で辿っていく。その途中にはいくつものビーチや、トレイル、洞窟などがある。ビーチは特徴的で、砂浜の向こう側には大きな岩山が飛び出たりしていて日本のビーチとは一線を画する風景がある。砂は白く、冷たく、細かい粒子がサラサラとして気持ちが良い。小高いハイウェイから眺める広い海岸と、どこまでも伸びる水平線は壮観で、車を止められる場所を見つけては眺め、見つけては眺め、そんなことをしているうちにだいぶ時間は過ぎてしまった。ハイウェイも中頃に差し掛かった頃、デューンシティという街を通りがかる。名前の通り、ここから先の海岸線はビーチの代わりに砂丘ができているようだ。海に対してこんもりと盛り上がる砂丘が道路沿いからでも見える。もしかすると、いつかネバダ州をイメージして海沿いの砂丘を目指して旅したことがあったけれど、あれはたぶんオレゴンのこの場所だったのではないかと思えてきた(事実、ネバダに海はないし)。そのうちの一つの州立公園に車を停めて、砂丘へと足へ踏み入れる。そこはまさに楽園と言った様相で、たくさんの人が日の当たる砂丘でシートを広げながらゆったりとしていた。川の深い青と砂丘の白さを小高くなっている砂丘のてっぺんから眺める。砂丘にはゴミひとつ、ガラス片一つ落ちていない。まさに完璧な白さだった。その砂丘でサンドボードを楽しむ子供が輝くような笑顔が弾ける。SUPや水泳を楽しむ人達を眺めながら、こうした夏を過ごせるオレゴンの人たちが本当に羨ましく思えてくる。絶対にこの場所には将来戻ってきたいと思える風景だった。
その後、険しい山道をぐいぐいと登りながらどんどんと北上していくと、この旅が始まってから初めての渋滞に遭遇した。話を聴くと数キロ先で大規模な事故があったらしく、見込みでは2時間ほどのスタックらしい。帰りの時間を想定すると旅程を変更せざるを得ないだろう。そんなことを考えながらしばらく路上で途方にくれていた。ようやく車が流れ始めて、事故現場のすぐ脇を通り過ぎるとそこには凄惨を極める光景があった。真っ二つに割れて中のインテリアまで大破した巨大なトレーラー、そのトレーラーに突っ込んだであろう運転席が完璧に潰れきった大型トラック。そしてその事故に巻き込まれたであろう赤いSUVも同様に大破していた。細い二車線の山道なだけに、こういう事故が起きてしまっては回避のしようもなく、この事故に遭遇したであろう人たちのことを考えるといたたまれない気持ちで胸が一杯になった。
そんな折、自分のこの短い旅ももう終わりに近づいていて、最後の目的地に近づいていることを知る。日も沈みかけていて、太陽がどんどんと黄金色に変わっていく。ビーチで夕日を眺めるという最後の目的が終われば、あとはポートランドへ向かって帰るだけだ。最後の瞬間をどこで迎えるのかというのは大事なように思えたけれど、結局オーシャンサイドの向こう側の名もないビーチにたどり着いた。結局自分にとってはその場所が有名であるかどうかとかそういうのはまったく関係なくて、然るべき時にたどり着いた場所が自分にとっての最高な場所なのだろうと思えた。その静かなビーチでは花火をする人がいたり、焚き火をする人がいたり、貝を集めたりする人がいた。その人たちが黄金の輝きに包まれていくさまを、少し小高くなった場所から暫く眺めているとこの短い旅ももう終わりを迎えるんだとじんわりと感じた。思えば旅のほぼすべての時間を車の中で、運転をしながら過ごしていた。かつてロードトリップをしてきた小説家や、写真家はこんなふうにして旅をしてきたんだろうか?もっとゆっくりしていたのかとか、どこかの街に数日とどまったりしていたのかとか。写真を撮れるような光景に出会わなかった日や、面白いハプニングが起きなかった日はあったのだろうかだとか、そんな彼らがしてきたであろう旅を勝手に思い浮かべているとみるみるうちに辺りは暗くなっていった。自分の選んできた道に間違いも正しさもなにもないのだけれど、自分の胸の中に湧いてくる確かな感覚と、ささやかな充足感がこの旅の答えであるかのように思われた。