Be Patient Part5 (No Fish No Cry )
9月の連休は前回の屈辱を晴らすために山梨へと向かった。本当は静岡県に行こうと思っていたのだけれど、県外から訪れた人たちが宿泊しにくい状況となっていたため、目的地を変更することになった。
山梨の峡北エリアに向けて車を走らせる。上州屋で日釣券を日程分購入し、ついでに少しだけルアーも買い足す。気分が上がったところで韮崎市内を流れる里川へと向かった。その日はすでに夕方だったので本気で釣りをするつもりはなく、ルアーを投げて遊ぶくらいに考えていた。まず向かったのは釜無川の下流、だいぶ渇水気味で釣りにならなかったので、スーパーで買った弁当を川を見ながら食べることにした。日が照って暑いはずなのに、木陰に入るとだいぶ涼しい風が吹いていた。山梨は空が広くていい、遠くに浮かぶ雲の向こうに富士山が見えた。
そのあと、釜無川に沿って少し里川のあたりをウロウロとしながら、釣りができそうなエリアを探したけれどまともなポイントは見つからなかった。ようやく見つけた場所では、誰も釣りをしていなかったのできっと釣れないんだろうと思ったけれど、本当になにも釣れなかった。代わりに根がかりしたルアーを外すのに川に突っ込んだせいで全身がびしょ濡れになって終わった。川釣りは本当に難しい、何が難しいかというとまずどこで釣れるかを見極めるのが難しい。人が入っていない場所にはきっと魚はいないのだろうと思うけれど、自分が行った場所に先に人が入っていても釣れなくなってしまう。じゃあどうすれば?という感じなんだけれど、それは何度も失敗してから出ないとわからないのかもしれない。
その日の夜にどこで釣れるのかを街の釣具屋のおじいさんに聞いたところ塩川の上流の「増富温泉」のあたりがいいと聞いた。翌日は4時半に起きて現地についたのが5時半くらい。すでに僕らよりも先に釣り人がいた気配があった。確かに、ものすごい山岳渓流のような感じで雰囲気は最高。静かでゆったりとした流れがあった。しかし、どれだけそれらしいポイントに投げても一匹の魚も出てこない。このあたりには確実にいるはずなのに、ルアーをみたらどんな魚でも少しは反応してくるのに、、と思いながら川の水に浸かりながら遡上していった。結局一匹の魚影を見ることもなく午前が終わった。そこから更に上流へといくと素晴らしい景観の場所があったが、車が何台も路肩に停まっていて釣りになるレベルではなかった。せっかくなので川に入ってみたが、すぐに先行者の餌釣りのおじさんたちとぶつかってしまった。更に川を下って里川らしいところへと出たが、魚影はかすかにあるもののかなり小さく、そして劇的にすれまくっている魚しかいなかった。一度もルアーを追いかけてくることはなかった。きっと、来る時期を間違えたのかもしれない。また日を改めて、来年解禁を迎えたあとに早朝に訪れたい場所だった。この日は合計で3箇所くらいの場所を巡ったがどこにも人がいたせいで釣れなかったのかもしれないと自分のなかでは結論付けた。
その翌日、清里のほうにある須玉川の上流の山岳渓流へと向かった。ここにもすでに人が入った形跡があったので半分くらい諦めていたが、ここに来てよかったと心から思った。川が左右の岩盤を削り取ってできた深い渓谷で、川幅は広くとても美しい場所だった。自分が渓流釣りをやるようになってから見た景色の中では間違いなく一番感動した。少しだけ魚影もあり、一度ルアーに小さな魚がチェイスをしてきただけだったけれど、きれいな景色の中で竿を振っているだけでも本当に気持ちが良かった。この広い渓谷にいるのが自分たちだけだろうし、こうした場所は観光マップなどには載っていない。釣り人しか知らない風景があるということをこのときに改めて感じた。きっとここでキャンプしたりしながら釣りができたらとても幸せに過ごすことができそうだ。
この日はその後に管理釣り場へと向かったが、そこでは「この数日は水温が上がってしまって魚の活性がかなり低くなってるから釣れんよ」ということを管理人の人から聞いた。「みなよ、今誰も釣れてない。今日は誰も釣れないだろうよ」ということで、釣りをしようと思ったけれどそのまま追い返される(善意で)形で釣りは終了になった。水温が数度上がっただけで活性が低くなって釣れなくなるのか、と魚の繊細さを改めて認識するも、そもそも僕たちが行ったところに魚は居たのだろうかということもまた疑問だった。
最終日は大門川のほうへと向かったが、これまでと同様に魚の影を見ることは殆どなかった。正確には一尾見つけたけれどそのまま泳いでどこかへと消えてしまった。これで今シーズンの渓流釣りはおそらく終わり。暇を見つけて10月に静岡のほうにリベンジをしに行きたいけれど、また釣れなかったらどうしようという気持ちもある。魚が釣れる場所にいく、ということが釣果の98%を左右するということを肝に命じて十分にリサーチをして置きたいと思った。