ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY15

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エルパソという街はテキサス州の東端、そしてメキシコとの国境沿いに位置している。この街を僕の中で特別たらしめている理由はただひとつ、『パリ・テキサス』という映画で使われているということだった。これから4日間をかけてテキサス州を巡る予定でいるのだけれど、それはつまり映画の足跡をたどることと同時にアメリカの中でアラスカ州を除けば最も大きなテキサス州を東西に移動するということになる。4日間での移動距離は2000マイル、3600キロ以上にもなるだろう。その始まりをこのエルパソにおいた。「パリに行きたい」と言ったトラヴィスが連れて行かれるのがこのエルパソという空港で、彼が発見されたビッグ・ベンド国立公園付近からは1000マイル程度離れている。結果、テキサスのパリ市というのが彼の目的地だったためこの街の空港が有効に使われることはなく、そのワンシーンでだけこの街が使われている。ヴェンダースは『パリ・テキサス』の撮影のために何ヶ月もかけてアメリカ南部を旅した、その足跡がこの映画の撮影場所に現れているはずで、それを追いかけることが今日から始まる数日間の目的の一つだった。

とはいっても、この辺りには見ておくべき場所はたくさんある。手始めにエルパソから近いホワイトサンズナショナルモニュメントへと向かう。1時間ほど運転するとテキサスとニューメキシコ州の境にある大きな砂漠地帯へと到着する。入り口の受付に行き閲覧料を払おうとすると「タダにするからもう行っていいよ」と言われて得をした気分になる、まったく理由はわからなかった。ホワイトサンズというだけあって車窓から見える景色は白い砂一色。前日の雨が地表に溜まっているようで鏡のように空の色を反射している。この溜まっている水こそがこの白く美しい砂漠のできた要因で、通常石膏は雨に溶けて海に流れてしまうけれどこの場所は盆地であるために流れ出す先がない。その石膏のアルカリ質が起因となりこのような白い砂漠が生まれるらしい。これまで多くの砂漠や砂丘を見てきたけれど、その中でも一等美しい雄大な景色だった。この日は生憎の曇り空だったのだけれど、それが逆に良かったのかもしれない。溜まった水に映し出される空の色と砂の色、そして空の色が一体となり浮世離れした光景に見えた。車を停めて白い砂山に登ると見渡す限り真っ白い砂漠が視界の先の先まで広がっている。自分の付けた足跡以外には何も見えず、出す音は風と砂に吸い込まれるようにして全く響かない。遠くを歩いている人も何人か見かけるが、自分とどれだけ離れているかなんて検討もつかないくらい距離が離れているように感じられる。ふく風は砂を少しずつ動かして砂丘に美しい波の模様を作り出す。まばらに生えている植物の影から真っ白い身体のトカゲが走り出してくる。自分の感覚がこの白く美しい荘厳な砂漠に溶け出していくような危うい心地すらしてくる。そしてその美しさによって浮き彫りにされるのは自分自身の存在の空虚さだった。何かを見ようとしても見きれないほどの広大さと、形容も能わないほどの美しさを前にはただ口を閉じて歩みを止めるほかなかった。車で少し折り返して公園内のレストエリアで休憩をする。美しい造形のベンチがこの砂漠の中にポツポツと設置されていると何かを思い出す。それはマーティン・パーとリチャード・ミズラックの写真だった。彼らの写真を眺めていた時にこの光景がかれらの写真集のどこかに必ずあったはずだと確信した。彼らはこの白い砂漠を前に何を思ってシャッターを切ったのか、どんなことを考えていたのか、それを知りたくなった。

ホワイトサンズナショナルモニュメントからテキサス州へと戻るために山の間を通り抜け、バイロークアという場所を目指してまっすぐに南下する。今思えばこれは間違いだった。まっすぐな道を抜けるかと思いきや、電波もガススタンドもまったくない未舗装の道だった。こんな道を教えてきた自分の携帯電話を呪いつつ、ハンドルを握る手に汗をかきながらひたすらに進んでいった。タイヤのスリップというのは雪道でのみ起こるものだというのは間違いで、砂利道や砂道でも容易に起きることをこの時初めて知った。凹凸のある砂利道の下り坂を時間短縮のために50マイルオーバーのスピードで走っていくと、砂利と泥にタイヤを取られてハンドルが全く効かなくなる。車がレーシングゲームのように左右に揺られ、地面に擦れるタイヤが大きな砂煙を巻き上げる。あと少しで道路から外れて道路脇の岩や柵に激突しそうだった。そんな瞬間を何度も迎え心身ともに疲弊してくるときに訪れるのが燃料切れの危険だった。電波もないため近隣の村や街を探すことはできず、そして村すらもない。言ってしまえば道路にはサインもなければ対向車も後続車も2時間くらいはみていない。ここでスタックしたとしたら命の危険すらあり得ると思う。こうした道を一人で走っていると時間や距離の概念がだんだんとなくなってくる。いつの間にか燃料は半分を切っていて、この危険地帯をあとどれだけ走れば抜けれられるのかということと、次のガススタンドまでの距離が見積もれないことが焦りを加速させた。途中小さな廃村を見かけたがガススタンドはなく、どの店も閉まっていた。更にそこから走り続けやっとのことで山を抜けた。公道をしばらく走っていると、バイロークアという山の尖った山頂が、雲の切れ目から数秒間だけ覗くことができた。太陽の光を背に受けたその山頂は神がかった美しさを放っていた。しかしガススタンドは走れども走れども全く見つからない。手当たり次第に近くの村を訪れるものの、どの村もガススタンドがない、もしくは営業時間外になっていた。営業時間外でも給油はできるのだけれど、大体の田舎のガススタンドはアメリカ国内で作られたカードしか受け付けないため、キオスクに人がいなければ給油はできない。ようやく走り続けて見つけたガススタンドはだいぶ想定していたルートから外れた場所にあり、ニューメキシコ州からテキサス州まで近道をしようと思って山を抜けてきたけれど結果には大きな遠回りと精神的な疲労をもたらすことになってしまった。

気付くとあたりはもうあたりは夕暮れで、テキサス州の北西のあたりまで戻ってきていた。この日は既に心身ともに疲れ切っていたので早めに休むことにした。近くのトラックストップを探して道路を走ると、テキサスという州が莫大な荒野だということを知った。何時間走っても見える光景は変わらず色の失われたような彩度の低い砂地で、色あせた背の低い植物がポツポツと生えているだけだった。たまに道路脇にある家は廃屋になっている。夜になると道路の両脇にガスか石油のプラントから吹き上がる炎が点々としているのが見えた。自分の前にも後ろにも走っているのは超大型のトラックだけで、道が二車線しか無いものだから前後を大きな車に挟まれていてだいぶ圧迫感があった。こうした車の後ろに付けていると削られたコンクリートや礫がたくさん車にめがけて飛んできて、フロントガラスに弾痕のような傷が3つ、そしてフロントバンパーやボンネットには無数の小さな傷がついてしまった。やっと停まったトラックストップに車を停めて、シャワーを浴びてたまりきった洗濯物を洗う。熱いシャワーで身体を隅々まで洗っていると本当に生き返ったような心地がする。洗濯物が洗い終わるまでテレビのあるロビーでトラックのドライバーたちとフットボールを見ていた。みんな一様に泥だらけになった服や帽子を被っていて、その姿がどこか様になっているというか誇らしげに見えた。時折大きな声を出して喜んだりとんでもない暴言を吐いたりするのを眺めているのが楽しかった。洗い終わった洗濯物を乾燥機に入れて、それを待っている間に今日もまたデニーズへ言って夕食を食べる。食後のコーヒーを飲みながら今日あったことを振り返ると、ホワイトサンズの絶景も然ることながら、名もない道で味わった恐怖のほうが心に残っていることに気がついた。不思議なことに困難に直面したときのほうが楽しく、自分自身が何かに生かされているような感覚を覚える。自分で勝手に(味わう必要もない)苦難に足を踏み入れているわけだけれども、それを克服することもまた旅の大きな楽しみであるように思えた。

hiroshi ujiietravel